月刊!? 夢うつつ…ジプシーの日々
                    ●※よろずライターにして謎のプロレス業界人~その酔狂で波乱万丈な日常
プロフィール

GypsyJohnny

Author:GypsyJohnny
職業:ライター&エディター。
 浮き草稼業歴約20年。謎のプロレス業界人として暗躍?(某F紙元記者)
愛猫家。adiラー(originals)。

心の師:放浪の殺し屋
少年時代のアイドル:黒い呪術師
男としての憧れ:戦慄のヒットマン

ニックネーム:ペンネームは「丈」(ジョー)なのに、なぜか(ごく)一部から「ジョニー」と呼ばれている……(某レスラーの“好きな有名人”。ちっとも有名じゃあないけど、何か!?)

スポーツ歴:ウェイトトレーニング
 (茅ヶ崎TSG元100kg会員)、
 なんちゃって空手

趣味:☆を見ること(笑)、
 ☆と語らうこと(爆)、
 鉄道旅(時刻表検定5級)、
 パンフ製作

好きなアーティスト☆:
 Kylie Minogue
好きな熟女☆:
 夏樹陽子、池上季実子、松原智恵子、高木美保、草刈民代
好きな女子アナ☆:赤江珠緒
好きな気象予報士☆:寺川奈津美
好きな女海賊☆:メリッサ(小早川知恵子)
好きなネットTV番組:「おっきなコバコ。」

愛唱歌:『JUMP』(忌野清志郎)、『MASQUERADE』(聖飢魔Ⅱ)、『男ばなし』(森進一)、『ど根性でヤンス』(梅さんのテーマ)


Standing on broken Dreams,
Chasing un・broken Dreams.
office Dreams since1999
      office_dreams@yahoo.co.jp  



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Ring of Dreams
 2008年の大みそか、新木場1stRINGへ足を運んだ。
 すでに周知のことと思われるが、今年の10月、このリングの上で起きた事故によって1人の青年が命を落とした。
 試合形式の練習中に技を受け、危険な角度でマットに落下したことが原因とされる。犠牲者の経験を考えれば、無謀な行為だったと思われる。そして、犠牲者に対しても失礼な表現になってしまうが、いつ起きても不思議でない事故が実際に起きてしまった、というのが偽らざる気持ちだ。
 誰もがプロレスラーを名乗れる時代、 あまりにもたやすくリングに立てる(上げてしまう)現状。そんな背景の中で、このような痛ましい事故が起きた。この練習に関わった“プロレスラー”たちの技量と心構え、また練習を指揮した人間の監督責任が問われるのはもちろんだが、もっと問題の根は深い。こうした事故が、もっと早く起きても不思議でなかった。むしろ、今まで起きなかったのが不思議でさえある。
 
 とにかく、この痛ましい事故を風化させてはならない。そして、同様の事故が起きないよう業界をあげて務めること、この事故による教訓が“プロレスラー”の粗製乱造を食い止める方向に活かされることを、関係者の1人として望み、強く訴えたい。それがまた、犠牲者を弔うことにもつながるのではないだろうか――。
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Reborn for the Future
 11月の東海大学園祭に続き、27日にはキラメッセぬまづで沼津プロレス第11戦「沼プロ忘年会’08」を取材。今はなきレジャーニューズ(今秋休刊)紙上で昨年の暮れに沼プロの活動を紹介する記事を上げ、「地域密着団体のモデルケース」と見出しを取ったが、まさしく沼プロを手本とする新たな団体が現れた。沼津の近隣・静岡県富士宮市で来年5月に旗揚げ戦開催を目指す、“宮プロ”こと「富士宮プロレス」である。
 正式な団体の発進を前に、「沼プロ忘年会」のリングに宮プロ勢が早くも登場。“ニジマス戦士”エル・トラウト・ザ・レインボー(「エル」と「ザ」が同居する、何気に超絶なネーミング)と“高原の神秘”エンペラー・ド・アサギリは、宮プロのエースとなる植松寿絵とともにメインの6人タッグ戦で沼プロ勢と対戦し、“戦国戦士”グレート・ザ・KANSUKEもセコンドに付いた。
 20分近い闘いの末、地の利を得た沼プロチーム(駿河永悟&牛神ザ・グレート・アシタカ&“お魚戦士”ヒラキング)に軍配が上がったが、この試合でもアシタカとアサギリが牛キャラ(というか、牛!?)同士でライバル心を燃やすなど、今後の両団体のコラボレーションに期待を抱かせるに十分な展開だった。
 沼津プロレスの地道な活動は、富士宮プロレスを生み出した。このようにいい形で輪が広がっていけば……そこにプロレス再生の一つのヒントがある。

20081227キラメッセ

小石の上にも十余年(序)
 さあ、とうとう始まりますよ、当ブログ初、待望(?????)の連載企画がっ!
 これまで2度ほど予告した「小石の上にも十余年」。オノレの取るに足らないライター(≒プロレス関係者)人生なんぞを振り返ってみようかっちゅう、まったくもって手前ミソなプロジェクト(笑)ですな。ちなみに「~十余年」というタイトルは、2008年4月で修羅の道へ足を踏み入れてから丸14年を迎え、15年目に突入するので、それじゃあ14年間の秘話の数々(???)でも…と思い立った当初、14年も十余年も響きが同じだからと仮に付けたもので、もっとカッコいいタイトルが浮かんだら途中で変更するかもしれません。
 さて、それはそうと、今回は「(序)」となってます。ああ、また始まんないのか……
 と思われそうですが、さにあらず!
 この道を歩き出したのは、たしかに1994年の春でしたが、そこに至るまでの序章があるのです。 
 
 今から17年半前の1991年6月。思えば、あの時から僕の人生は動き出したのだ。
 当時は21歳。2浪してハタチで大学に入って2年目だった。
 これといって、大学生生活に楽しみも見出せず、あてのない緩い日々を過ごしていた僕の元に、1通の封書が届いた。高校生の頃に入会した、国際プロレスファンサークル「VIOLET」の会長氏からの久々の便りだった。
 吉原功・元国際プロレス社長の7回忌法要が岩手県の北上で営まれ、ご遺族以外に元国際のレスラーやスタッフが数多く参加する。バスを1台チャーターして首都圏から北上へ巡業のようにツアーを組んで向うが、そこへ「VIOLETの会員も一緒に行かないか?」と関係者の好意で声をかけられた。ついては、有志を募ります――という内容だった。
 どうしようか迷った。温泉宿に1泊するというのに、会費は異様に安かったのを覚えている。迷った理由は、金銭面ではない。日程でもない。そのツアーに参加するレスラーの人たちはおろか、実はVIOLETの会員諸氏とも、まったく面識がなかったのだ。会長を含め、誰とも会ったことがない。
 高校時代に入会したVIOLETだが、僕が長い受験生生活を終える頃には休眠状態に入っていた。ちなみにVIOLETの結成は、奇しくも国際プロレスが解散した81年。それから数年は会報を定期的に発行するなど活動が続いていたが(団体は解散しているのに、その後も元所属選手らを応援し続ける諸先輩の情熱に打たれて入会を決意したのだ)、結成から10年経ち、主要メンバーたちが社会人になっていたこともあって、表立った活動がなくなってきた時期だった。
 そんな背景があって、会の主催イベントで先輩たちと顔を合わせるといった機会もなかったので、あまり社交的なタイプとは言えない僕としては、誰も顔見知りがいない状況が当然ながら難しそうに思えた。しかし、迷った末に参加を決意した。若輩者の自分なんかより、はるかに国際プロレスに愛着を持ち、吉原社長を尊敬している人は、いくらでもいるはずだ。でも、VIOLETの会員の中にも、行きたくても行けない人もいるのではないか。だったら、その人たちの代わりに、大学生という“特権”を持った自分が行こう。そういう結論に落ち着いた。
 そして、思い切って七回忌ツアーに参加したことによって、多くの人たちと出会うことができた。そこから人脈が広がり、だんだんに道が開かれていったのだ。どうしてもプロレス業界に関わりたいと、それほど強烈に願っていたわけではない。だが、自分でも気づかないうちに人生は動き始めていた。
 きっと、天上の吉原社長によって導かれたのだろうと、今では勝手に思っている。(つづく)
 
目くそ
 東スポ大賞の受賞者が決まり、すでに授賞式も開かれた。
 近年の受賞者というか授賞基準には疑問が多く、もはや権威も何もない賞だが、それにしても今年の新人賞は酷い。
 小川道場の澤田敦士。受賞者を最初に知った時の率直な感想は、「誰?」。己の不勉強を棚に上げるわけではないが……。
 何が酷いって、どうやら金メダリストの石井某をセコンドに呼んだ話題性による「授賞」で、授賞式に石井が現れれば翌日の新聞が売れるから、という主催紙の意向が見え隠れしていること。情けない。よりにもよって新人賞だぜ。業界が落ち込んでいるからこそ、なおさら選手自身の将来性を買って決めるべき賞だ(全日本のKAIあたりが順当だったろう)。話題性重視なら、大衆賞や特別賞、ズバリ話題賞でいいではないか。
 もう、内舘横綱審議委員を特別審査員に据えるより、いっそたけし客員編集長でも招いて、外部の人間の意見は入れずに東スポによる東スポのための東スポ大賞色を強めたらどうだい? もちろん、内部にも良心を持ち合わせたスタッフもいるとは思うが、そういう人も今の形では逆に気の毒だ。
 
 さて、やはりプロレス界のニュースでは、これもネガティブな話題になってしまうが、日テレのノア中継打ち切り騒動について。プロレス番組がゴールデンタイムの定期放送を外れて20年。現行の時間帯では、新しいファン層を獲得することなど、どのみち無理と言っていい。子どもからお年寄りまで楽しめるのがプロレス本来の最大の魅力なのに、真夜中じゃあ……。
 この際だから、もう言ってしまおう。一時は新日本に取って代わって業界の“盟主”に君臨したノアが失速、その座を転落したとか、そういう問題ではない。もっと根本的に、現状では業界自体がマイナーなんだから、その中でメジャーも何もないだろうよ?と。
 マット界に非常ベルが鳴り響いている。だけど、そんなのは昨日今日のことじゃない。しっかりプロレスの原点を見つめ直し、レスラーや団体は真摯にプロレスを追求してほしい。以上。

 さぁ、今週末は沼プロ行こうっと♪ 
numapro05mini1.jpg

昭和プロレス
 18日、ひと月半ぶりにプロレス会場へ足を運んだ。久々の後楽園ホール。
 「昭和プロレス」の第2弾興行が開催され、すべてに中途半端だった前回5月とは打って変わって集客的にも内容的にも上々だった。
 その大会に参加した全日本プロレスの重鎮・渕正信が自身のブログで、現代のプロレスを昭和のプロレスと比べて以下のように評している。

 身体がデカくない分受け身もうまい。ていうか軽い。
 動きに関していえば、あまりにカウンター戦法が多過ぎる。
 自分からダッシュして来て技を食ってしまうケースだ。どの試合にも必ずある。
                                        (原文ママ)

  「ていうか軽い」って、渕さんカルいな~(笑)…って、そういうことじゃなく、現代プロレスの問題点をズバッと指摘している(ただし、渕、長州、蝶野、ライガーの4人による試合は、顔見せ程度に終わり、はっきり言って12・18後楽園のラインナップに不要だった。あれでは現役組が出た意味がない。渕選手には、どうせなら小林邦昭と絡んでほしかった)。
 この日は、すでに会場から足が遠のいて久しいオールドファンたちが詰め掛けた結果の盛況と分析されるが、客席からは気の利いたヤジも度々聞かれた。揚げ足取りとか受け狙いではないヤジ。それは一種の声援だ。そういうヤジが自由闊達に飛び交う空間。それが、かつて慣れ親しんだプロレス会場だった。
 プロレスは、ある部分アバウトでいい。アバウトであると同時に、レスラーやリングスタッフに(時には観客にも)絶妙のアドリブが求められるのだ。アバウトさがダイナミズムを呼ぶのではないか。21世紀のプロレスは、アバウトさに欠けて肩が凝る。

15周年
 今年4月30日付の記事で「小石の上にも十余年(予告編)」と題して、プロデビュー15周年を記念してオノレの過去を振り返る企画モノでも始めようか、などと書いている。そこには、“記念イヤー中に完結するといいですね…”と、きわめてテキトーながら、一応の目標のようなものまで示されている。 
 ……でも、まだ始まってもいません(笑)。いや、忘れていたとかじゃなく…。忘れていたんじゃなきゃ何なんだ!?と言われると、え~と、なんでやろう?(苦笑)。ただ、くどいようだけど、けっして忘れちゃいなかってんよ。

 というわけで、年内にスタートさせて、来年の満15周年イヤー中に完結を目指します(おっ、珍しく宣言したよ!?)。しかし、そんなに書くことあるのかなぁ?(笑) まぁ、いざ本気で書こうと思って記憶を掘り起こせば、何やかんや出てくるでしょう。本人としては、なんとか1日1日を過ごしてきたという感覚で、何か変わったことをしたみたいな感覚はないんだけどね。





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