月刊!? 夢うつつ…ジプシーの日々
                    ●※よろずライターにして謎のプロレス業界人~その酔狂で波乱万丈な日常
プロフィール

GypsyJohnny

Author:GypsyJohnny
職業:ライター&エディター。
 浮き草稼業歴約20年。謎のプロレス業界人として暗躍?(某F紙元記者)
愛猫家。adiラー(originals)。

心の師:放浪の殺し屋
少年時代のアイドル:黒い呪術師
男としての憧れ:戦慄のヒットマン

ニックネーム:ペンネームは「丈」(ジョー)なのに、なぜか(ごく)一部から「ジョニー」と呼ばれている……(某レスラーの“好きな有名人”。ちっとも有名じゃあないけど、何か!?)

スポーツ歴:ウェイトトレーニング
 (茅ヶ崎TSG元100kg会員)、
 なんちゃって空手

趣味:☆を見ること(笑)、
 ☆と語らうこと(爆)、
 鉄道旅(時刻表検定5級)、
 パンフ製作

好きなアーティスト☆:
 Kylie Minogue
好きな熟女☆:
 夏樹陽子、池上季実子、松原智恵子、高木美保、草刈民代
好きな女子アナ☆:赤江珠緒
好きな気象予報士☆:寺川奈津美
好きな女海賊☆:メリッサ(小早川知恵子)
好きなネットTV番組:「おっきなコバコ。」

愛唱歌:『JUMP』(忌野清志郎)、『MASQUERADE』(聖飢魔Ⅱ)、『男ばなし』(森進一)、『ど根性でヤンス』(梅さんのテーマ)


Standing on broken Dreams,
Chasing un・broken Dreams.
office Dreams since1999
      office_dreams@yahoo.co.jp  



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炎のいぶし銀
 日本で初めてのインディペンデント(いわゆる“インディー”)団体が産ぶ声を上げたのは、今から20年前の1989年4月30日。後楽園ホールでパイオニア戦志の旗揚げ戦が開催された。所属レスラーは、いずれも国際プロレス出身の剛竜馬、高杉正彦、アポロ菅原の3選手。メインで“エース”の剛と対戦したのは、FMWを結成する以前の大仁田厚だった。
 …と、ここまでの史実は、たいがいのマニアが押さえているだろう。この時、数名の若者がパイオニアの練習生としてリングに上がり、観客の前で公開練習に臨んでいる。いわば、彼らはインディーの1期生であるが、その“生き残り”が松崎和彦だ。
 業界が全体的にミクロ化する流れの中で、松崎も近年は生まれ故郷の後楽園ホールから遠ざかり、主に新宿FACEや新木場1stRING、西調布アリーナ、地元のラゾーナ川崎プラザソルといった小会場でファイトしているが、その堅実な技巧は錆びつくどころか円熟味を増すばかり。
 当年とってジャスト40歳。しかし、まだまだ肉体的にも若く、リングコンディションの良さは相変わらずだ。キャリアの浅いレスラーの実戦コーチとして、これ以上ない、うってつけの存在である。彼のような名バイプレイヤーを、もっともっと活かすことをプロレス界には望みたい。
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小石の上にも十余年(2)
 Fさんに三崎町の編集部へ連れられて行くと、そこで「JUNGLE」を制作する“編プロ”(編集プロダクション)のH社長に引き合わせられた。
 「社長、彼が新人の子です」という調子で、さっき初めて挨拶を交わしたばかりなのにもかかわらず、ずっと目をかけてきた人間であるかのように、FさんはH社長に僕を紹介する。ちなみにFさんは元・週刊「ビッグレスラー」の編集長で、同誌の制作を請け負っていたのが、やはりH社長の編プロ。つまり、両氏はかつての上司と部下、いわば旧師弟の関係である(Fさんは、ブレーン的な立場で「JUNGLE」に外部スタッフとして関わっていた)。
 2人の間で「誰か新人を入れよう」という話は決まっていて、その“誰か”は誰でもよく、たまたま運よくお鉢が回ってきた、ということのようだ。長年、編プロを運営してきたH社長は、「エディターズスクールの出身者は採らない」方針の持ち主で、これも“ズブの素人”だった僕にはラッキーに働いた。要するに、“縁があったんだから使ってあげるよ。適性があるかないか、そんなのはやってみればわかること。入るヤツは自然に入るし、その中で残るヤツは自然に残る”という考えが、H社長イズムなんだろう(と、振り返って勝手に思う)。
 さて、編集の仕事に関してはズブの素人だった僕だが、プロレス界はまったく未知の世界というわけではなかった。すでに書いたように、アニマル浜口さんには「香寿美」に来るファンとして認識されていたし、門馬忠雄さんとは個人的にお付き合いさせていただいていた。菊池孝さんにも顔を覚えていただいていた。それに、鶴見五郎ジムに入会していたので、鶴見会長はもちろん、ジムの先輩である荒谷信孝選手、また「VIOLET」の先輩・水谷さんの紹介で高杉正彦さんのジムにも“出稽古”(ウェートトレの)にも赴いていたから、これらの人たちとも交流を持っていた。
  とはいえ、実際に見習いの仕事を初めてみると、やはり戸惑う局面のほうが多かった。当然といえば当然なのだが……。(つづく)

小石の上にも十余年(1)~原点の地
 もう18年も前になる北上行から、知らず知らずのうちに運命の歯車は動き出していた。

 この時、初めて会った多くの人たちと、その後の人生で深い関わりを持つことになる。
 国際プロレスのOBや関係者では、ラッシャー木村さん、アニマル浜口さん、鶴見五郎さん、アポロ菅原さん、尊敬して止まない大先輩記者の菊池孝さんら(一発で覚えてもらったというわけではないが、のちのち「実は吉原社長の七回忌に参加させていただいた者なんですけど…」と挨拶すると、皆さん「ああ、あの時に来てた一人なのか!」と、快く接してくださった)。やはり大先輩の門馬忠雄さんとは、家が近いこともあって直後から親しくお付き合いさせていただくようになった。
 そしてもちろん、「VIOLET」の先輩会員の諸氏。とりわけ、行き帰りのバスで隣り合わせの席に座った3つ年上の三井さんは心やさしい人で、すぐに打ち解けることができた。6月上旬の北上ツアーから3~4ヵ月後、同じ1991年の秋(たしか9月の末だったと記憶している)、三井さんに連れられて僕は初めて「Animal香寿美」の暖簾をくぐった。言うまでもなく、浜口さんの妻・初枝さんが切り盛りしていた和風スナックが「香寿美」である(オリンピック2大会連続メダリスト・浜口京子選手が育った家の一階で営業していたのだ)。
 学生時代を東京で過ごし、当時すでに社会人として山梨で生活していた三井さんは、かつてなじみだった「香寿美」に“引き継ぎ”の意味もあって、僕を連れて行ってくれたのだという。これがドンピシャ(笑)。浜口ご夫妻はじめ浅草の人たちの“情”に触れて、すっかり「香寿美」が好きになった僕は、すねっかじりの分際でちょくちょく夜の浅草を訪れるようになった。ここで酒の飲み方を覚えたと、自分では思っている。
 そうこうするうちに、お客さんたちとも顔見知りになり、伊藤さんという人と仲良くなった。ザ・グレート・サスケやディック東郷ら旧ユニバーサル勢の若手時代から親しく、のちに『みちのく夢伝説』を著し、月刊「プロレス・ファン」の編集長にもなる伊藤さんも、この頃は一般の会社に勤める営業マンだった。
 大学5年生になった1994年の4月、その伊藤さんから、季刊誌「プロレスJUNGLE」編集部に強い影響力を持つFさんという業界関係者を紹介されることなった。Fさんは「香寿美」の常連で、JUNGLEの編集部員を1人増やすことをFさんから聞いた伊藤さんが、候補として僕を推薦してくれたとのだという。
 そういえば、おぼろげながらプロレス記者になりたい希望を持っていることを、伊藤さんには打ち明けていた。正直、その時点でプロレス記者に絶対なりたいと強固に思っていたわけではなく、なれるならなってみたいぐらいの気持ちだった。だが、せっかく転がり込んでき大チャンスだ。もちろん、辞退する手はない。とっくにバブルは崩壊し、就職戦線は完全に買い手市場。このまま大学を5年で卒業して、普通の職に就こうとしたって、なかなか自分に買い手が付かないのも目に見えていた。
 そこで、これをウルトララッキー、千載一遇のビッグチャンスと考え、意を決してFさんとの面談に臨むことにした。一世一代の大事と思って迎えた当日、約束の時刻に指定の場所へ行ってみると、伊藤さんと一緒に待っていたFさんは見覚えのある人だった。個人的に話したことはなかったが、「香寿美」で何度か居合わせていたのだ。
 こちらの顔をFさんも覚えていたようで、開口一番「お前、見たことあるな」。どこに住んでいるか聞かれ、Fさんの苗字と響きが同じFという街の在住であることを告げるとFさんは破顔一笑、「なんだ、俺(の名前)と一緒じゃないか」。そんな立ち話だけで“面談”は終了。そのまま編集部へ連れて行かれることになった。つまり、いともたやすくテスト(?)に合格、あっさり採用が決定してしまったのだった……。

 これまで数奇な人生を歩んできた自分にとって、原点の地ともいうべき場所がいくつかある。その一つが浅草である。先日、その浅草を所用で久しぶりに訪れた。改めて初心に立ち返り、懐かしい思い出を綴った次第。すべての始まりという意味で、北上も原点の地と言えるだろう。そして、「JUNGLE」編集部があった三崎町(千代田区)も。次回また続きを……。

凶器の世界
 “ミスターデンジャー”こと松永光弘が2日、たまたま試合用の凶器一式を積んで車を運転中、不審人物として警察に捕まって取り調べを受けた、と自ら某mixiの日記で明かしている。そりゃまぁ、そんなところを見つかってしまったら連行されても仕方ない。警官だって、見つけてしまった以上、「ああ、プロレスラーの方ね。OKですよ」で済ますわけにはいかないだろう。ちなみに無事に理解を得られて即日釈放されたとのこと。特に危険と見なされた(?)凶器は没収されたようだ。
 しかし、改めて痛感したのは、やっぱりプロレスはハチャメチャな世界だということ。だって、シンのサーベルしかり、ブッチャーのフォークしかり、シークの火炎殺法しかり、キラー・ブルックスの恐竜の骨しかり(???)。凶器を用いて残虐な行為が公然と繰り広げられ、その様がかつてはゴールデンタイムに(しばしば“現行犯”で!)堂々と発信されていたのだから、よく考えてみりゃ凄い話だ(それを少年時代から当然のことと思って、まったく疑問に感じていなかったが……)。
 いやぁ、やっぱり昭和は、20世紀は、“いい時代”だった。「ああ、プロレスラー…」ということも、実際には多々あったろう。時が変われど、プロレス特有の“いかがわしさ”には消え失せないでもらいたい。





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